2008年6月23日月曜日

手で書く必要性

国立西洋美術館にいってきた  in 上野
絵を眺めていて思ったことをつらつら書くことにする。

まず画材について。
国立西洋美術館の常設展には、松方コレクションといわれる、
主に15~19世紀の絵画が飾られていた。画材は油彩が殆ど。
同じ油彩といえど、時代や派閥によって随分絵柄が違うもんだなと感じた。
特に17世紀後半から18世紀中ごろがとてつもなく写実的で綺麗というのが印象にあり、
19世紀後半にかけては徐々に抽象的になっていて、インパクトがあるなぁといった感じ。


そんな中で思ったのは、
・新しい画材が出ると、新しい表現をもたらす
・新しい表現は、古い画材に新しい使い方をもたらす
・新しい表現は古い表現に新しい見方をもたらす
・新しい見方は・・・

といった感じの連携が起きているのかなー、みたいな。

あと、紙とペン(のようなもの)はなくなるか?手を使って書くことを止めるかって話
個人的にはNOだと、強く思った。

多分、描き手ってのは、脳ではなくて、体で表現を整理整頓しているんだと思う。画材はその整理整頓を手伝っているものだと考えられる。脳のイメージは、あくまで表象であって、その表象への切り口ってのは作者のそのときの気分や感情、体調に影響されていて、切り方は無限にある。その切り方を演出するのが画材なんじゃないのかな。で、実際に切るのは、体の仕事で、脳ではその作業はやりきれない。だから体を使って描く必要がある。

もし脳のイメージを絵画化できる装置(ペン)が開発されたとしても、作者の思い通りに絵画化するには、多分作者は一生懸命体のどこかを動かして描くんじゃないかな。そもそも表象は静的なものじゃないから、ただ単に絵画化したら陳腐化してしまう気がする。もしかすると、その辺で今とはまったく異なる新しい表現が生まれてきたりして?でも今でも古代の表現が色々残っているのと同じで、今の表現はなくならないんじゃないかなー。


と、妄想してみた。この辺の切り方をレポートにできたらいいなーとか思ったりしてね。メモメモ

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